FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「くらいの事でしかない」/解釈、理解する事/

猫々

[前回のあらすじ]
とりあえず公演が一段落したkenkenは、打ち上げで荒川沿いを三時間歩きながら
ブルーバード・オブ・スーパーフラット関係者二人と語らうのであった!

内容を事細かに記述すれば、そりゃ三時間分なんで大変な事になってしまうのだけど
いくつか、その話の中での思考を、。
最近「~くらいの事でしかない」というのが口癖になっている。日常会話ではそんなに出てこないのだけど、何か問題解決を望む時の議論の中で等、気づくと発している。
つまり、「今話されている事は大した問題ではない」のであって、それが口癖になってしまう程、「世の中には大した問題ではない事が溢れている」という事、で御座います。
to be or not to beは問題にすべき領野で御座いましょう、how to beも議論されて然りの様に思われます。
が、what to beに関しては好きにしてくれよ、で片づけられる、でしょう。
「嗚呼どうしたら良いのだろうか」は「知らねぇよ!」で片づけられる、でしょう。
思考の伴っていない「~すべき」という観念(例えば「法で定められているから」「テレビでそう言っていたから(笑)」等)は無意味に等しい。
ここが分かれば人生はかなり生きやすくなると思うのですがね。
問題がある種?単純化されて、少しの事では動じなくなる。

なんか人生の教則本、に書いてありそう、な論調になってしまった
ただ、極めて簡潔に書いてしまえば上記した様な「くらいの事でしかない」。

しかしまぁ現実にはそう上手くいかないもんで
諸事態に苦悩し思考するのが人間というもので御座います
(ますます宗教本みたいで嫌だけどそうなのだから仕方がない。)
悩んでいる友人知人がいたとして、彼/彼女が信頼のおける人間であればお前そんな事で悩んでるんじゃない、意味がない、とでも諭す事は御座いましょうが
それが逆に彼/彼女を追い詰める様な事も御座いましょう、その時はー…まぁ自分の経験でコタえられる範囲内で対応したり、ただ話を聞いてやる、くらいの事をする訳です。
理念、と現実的対応、は大きく異なる訳ですね、。


少し話は変わりますが、
哲学書を読む時に、嗚呼難しくて理解できない!と悩む事が御座います。
なんか重要そうなところに線とか引いて、時々成程!とか思ったりするんだけど、読み終えた時に何も残っていない。特に大学入りたて、哲学勉強し始めの頃はその意識が強かった。
が、最近になって、現象学とかベルクソンとかの現代哲学の基礎となるタームを漠然とでも「理解」し始め、ある程度自分の言葉でそれをパラフレーズする事が出来る様になり、用語等に慣れ親しんでくると、
ああこれはあの哲学者の言ってる事とほぼ同じね、とかあの思想と対立するよね、とか、カテゴライズして勝手に図式化し、難解なものでもまぁまぁ読める様になってきました、。

この事は一般には良しとされるのでしょうが、ここには是非がある。

現代哲学に通底する思想様式として、ミスリーディングにこそ「真理」が存在する、という様なものがある。
簡潔に言えば作者の意向と違うものを読み取る事、が新たな創造を可能にするという事で御座います。
勿論本の読解に限りません、現象の読み解き方や他者を知る事等諸々含まれます、。
故、例えば…一般的なドゥルーズ読解から、彼の思想を「理解」してもどうしようもない。
前にも書きましたが、哲学は新たな概念を創出する事、既存の体系を超え出る事、を本義としているのです、
彼の思想を既に流れている文脈の中にあてはめるだけでは面白くもなんともない。し、意味がない、のです、。
理解する事、納得する事、は安易に是とされてはいけないのです。

自分の有している感覚にマッチするものを読んでも/観ても仕方ないんですよ。
それが自分の言説の強度を高める事にはなりましょう、この方向で良いんだ、と自信になる事も御座いましょう。
それによって現実的な対応は上手くなると思います。
ただそれは本質的には意味がない、と思ってしまうのです、僕は。
所謂「共感」を排斥しようとするのはその文脈においてです。
哲学的思索と現実的思考は大きく異なる訳ですね、。


と、長々と書きました、。現実と、それとはかけ離れた領野とが存在するという論調で。が、両者には断絶がある訳ではないのですよ。互いに、密接にリンクしている。
それは、現実的な経験から哲学も生まれる(生まれ育った環境によって哲学者の傾向は違う)という事や、現実を生きやすくする為に哲学が、例えそれが戦略であったとしても、用いられるという事からも理解できると思います。
じゃあバランスを取る事が重要なのか、と言えばそれも語弊がある。バランスを取ると現実に拠りすぎてしまう。

気づく、事なんですよ諸々。
垂直的な価値体系が生まれるとしたら、気づく/気づかない事、に集約される様な気がしています。今は。
かなり乱暴な言説ですが僕はそう考えている。強く主張できる程には洗練されていないけど。

次回はそれについて書こうかしら、書けるかしら、。
スポンサーサイト

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

FC2ブログランキング

FC2Blog Ranking

プロフィール

kenken

Author:kenken
ベルクソン、フランス現象学辺りから時間/イメージ論にアプローチしております。
哲学をする、事は演劇をする事であり、演劇研究は哲学でしかあり得ないという考えの下に、両者の関係をより精緻に見ていきたいという所存で御座います。
いずれ演出、俳優業も再開したいなぁ、などと!


twitter
http://twitter.com/kenken_sebatex

mixi 読書カレンダー

リンク
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
8237位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
哲学・思想
515位
アクセスランキングを見る>>
最新記事
検索フォーム
最新コメント
カテゴリ
月別アーカイブ
最新トラックバック
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。