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そして新たなアイデンティティ

よこたたかお氏が前々回の僕のブログの記事に反応してくれたので、往復書簡と言ってくれたので、せっかくなので更に返答。
若干の(あるいは大きな)誤解もある様だしね。
[追記:調子にのって書いていたら4000字弱になってしまった、特に携帯から御覧になっている方はご注意を]

>kenkenの日記へのレスポンス。勝手にしてみる。往復書簡。

>http://knockabouts.blog101.fc2.com/blog-entry-48.html(参考)

>あえてここでは、kenkenのことについては触れるまい。あくまで自分のことを語ろうと思う。

>昨日、本山さんと、「大本山」の収録をしていた。
>かなりヤバイ内容になっていて、これは絶対に面白いと確信する。

>ただ、僕が本山さんとこういうアクティビティをするのは、僕が置かれた状況を脱するためであって、
>社会を良くしようとか、真理にたどり着こうとか、そういうのは衝動としては少ない。

>きっと、ここが僕とkenkenを分かつ部分だろうし、ほかのアカデミズム関係者と分かつ部分だろうと思う。

>重要なのは「語り」であって、内容ではないと思ってしまう。それは演劇に拘泥しすぎたからかもしれないけれど、
>言葉では示すことができない世界を信じていて、というか言葉の世界を信じられなくて、
>どこかにきっといるであろう、自分と同じ感性を持つ人のために何ができるのか、ということを考えてしまう。


僕は自らの所属する共同体に嫌悪を抱いた事がないし、そのおかげで楽しく生活させてもらっていると思っているタチ。で御座います。
「高校」の時にその感覚は強くあったのだけど、「家族」でも「大学」でも「国家」、でもそう。
大学の雰囲気やら学んでいる学問の性質上、どうしても左寄りの思想になってしまうのだけど、
やはり僕、は。本質的には右なんだろうなぁと考えております、(アンビヴァレント、だ!)
勿論その共同体が採用している制度の「善し悪し」は問うべきであって、全体が「悪い」方向に猛進してしまっている時にはある種の恥ずかしさ、を覚えるので御座います、言わば自分の事の様に。
シンパシーを感じる訳ですよ、やはり、共同体に。

しかし、日本(人)というアイデンティティが失効している、ともやはり思います。
鈴木忠他様々なモノカキが、「グローバリゼーションの進行と共に誰もが国家に無関心ではいられなくなっていった云々」と書いているのだけど、恐らく我々が、生まれた時には既にグローバリゼーションの渦中にいたからという事も「日本」を強く感じられない一因である様にも思われます。
何処に拠って立つか、が極めて希薄になっているという感覚なのですよ。
やはり(ワタクシの)嗜好性/志向性についてで書いた様、僕は自分の「好きなもの」に立脚している訳ではありません、その感覚を盲信する事ができなくなっているんですよ、自らの立場を表明する事の不可能性に曝されている。し、そういう時代であると。まさにポストモダンです。
この不可能性に直面した人間はどうすれば良いのか。ひきこもる事もあるでしょう、新興宗教の罠に陥る事もあるでしょう、自殺する事もあるでしょう、果ては無意味な殺人、も起こるでしょう。
この問題に立ち向かうべく00年代の所謂日本のポストモダン的論客はスーパーフラットで良いじゃない、と自己肯定的、現状肯定的言説を並べ立てる訳だ。
ここに有用な点があったとすれば、「スーパーフラット」という新たな立脚点を仮に(しかもかなり限定的な範囲に、脆弱な形で)示した、くらいの事でしかなく、しかも論じている自分は滅茶苦茶強い主体で、ガンガンに自らの立場を理解しているし、示せているという様な状況がある、あったと思うのです
そりゃー貴方、貴方は強いからそういう事を簡単に言えるかもしれないですけど、こちとらそんな状況じゃありません事よみたいな話ですよ。

強い主体はそれで良いすよ、自らの立場を表明出来るならそれで良いです。
僕だって主体の喪失が、絶対的価値観の喪失が云々と言っているけど、強い主体を確保している人間にそれではダメだと言っているのではないのです、僕みたいなシコウ性を持て!と言ってる訳ではないです勿論。
強い主体を有している人、それが不可能な人、様々な現勢化の形があってこその潜勢力で御座います。
ただ、広い範囲に責任を背負っている(例えば学問研究をしている)人間は、自らの有している価値観を押しつける様な事は少し留保すべきであると言っているのです。
新たな宗教を打ち立てるのだ!と強く主張するのなら勿論それでも良いですけどね。
ああ、自分が楽しむ為だけに学問をやっているんだって立場でも良いですけどね。

>自分と同じ感性を持つ人のため
同じ、がどの程度のものを指しているのか分からないけど、まぁ傾向が似ている、くらいの意味にとったとしても
もうその人のためにする事なんてないんじゃない?
自分の「感性」を信じているのであれば、その自分に似ている誰かだって「自分」を信じられているのでしょう。
もうそれなら、他人にしてやれる事がないのであれば、
今、自分の周りにいる人と楽しく暮らす、で良いでしょう。それはそれで誠実な考え方だと思います。

僕は僕より「不幸」な人間がいて、その人たちの為にならしてやれる事があるのではないだろうかと考えているから勉強している、それくらいの事だと思います。

現代思想のスター達は、こぞってアルジェリア関係者だったりする。勿論フランス人が多いから、アルジェには何らかの形で関わる事になるんだろうけど。サルトル、フーコー、サイード、デリダ等。
僕は詳しく知らないのだけど、アルジェリアの惨状を見て、かつそこで働く事で、彼自身、または彼自身の思想に影響を及ぼす事になるのだそうだ。彼らが皆政治的な領野に言及し、積極的に介入するのにはその様な背景もある。
ここから考えても、他者への思考は後天的で、1%の偽善もない、とは言えないでしょう。
しかし、じゃあ他者へは介入すべきではない、という話には落ち着かないでしょう。

僕は、アルジェに(思想的に)介入する事が出来ない。何故なら実感がないから。
今言及できるのはポストモダン的状況に困惑している人たちに対してのみ、それは自らもそこに存しているから。
この意味でよこた氏が「同じ感性」と言ったのであれば全く正しい。
じゃあ、その不幸な感性を経験しましょうよ、共有しましょうよ、ではダメかしら?


他の場所でよこた氏はこう言いました

>ポストモダニスト=ロマンチスト

>俺には、ポストモダニストがあまりにロマンチックすぎて、見ていられないや! ←皮肉です。

>私的なところから、建設的に積み上げていくしかないだろうと思ってしまう。

>それが、現実なんだ、って。

>にゃー。

実際のところ所謂00年代的ポストモダン思想はロマンチズムでもなんでもなくて、ただの現状追認でしかない。
絶対的価値観、主体が失効しているよね、不可能だよね、という。
それを若干、意味のある様、に思える様、にする様、こじつけたら上記した様、なカリソメの「神」になってしまった、それくらいの事でしかない。
まぁ多分僕とよこた氏の出発点には大した差はないと思います。
僕だってまだ立場を表明できているのだし、そうしなければ言説なんて生まれ得ないのだから
その意味では僕も「現実的」な側面に大きく依拠して生きているので御座います。

しかし後のパースペクティブは違う様です。
自分の周りにあるものしか現実と受け取らない、というスタンスは
既に現実に身を置いていないという事じゃないか!、と思ってしまう。
そして「建設的」と簡単に言ってしまう事に違和感を覚える。
魚屋で魚を売る事、も建設的だと言ってくれれば理解出来るんですけど、どう考えているでしょうかね。

そして依拠するモノをどこに置くか、も大きく違う様です。
垂直的価値判断の失効に苦悩し、そこから2010年代の新たな思想が生まれるのではないか。
そして、新たな時代に改めて‘アイデンティティ’となりえるのは、「人間」という事でのみではないか。
つまり、僕は個人的な嗜好性、感性、ではなくて、人間の人間性、つまり思考と身体、を強調する。
ここは、この領野は、個人的な文脈でも語る事が出来るだろうし、普遍的なそれを前提とする事もあるでしょう。
ただ遠くの他者に言及する際には普遍的=抽象的な論調になります、どうしても。が、具体的でなくてもこれ程現実的な事があるだろうか、とも思います。

>言葉の世界を信じられなくて
も、人間が、言葉を有しているという事(の可能性)は信じられる。
思考を、言語を形成する身体一般は信じられる。

ポストモダン的思想(という枠組みがあるとして)とは元来そういうものであると認識しております。この意味ではよこた氏の言説とそう相違ないんじゃないでしょうか?
まぁ…言葉の世界を信じられないのに、そこに大きく依拠している自分の感覚を、感性を信じるっていう構造が僕にはどうなっているのか良く分からないのですが、やはりアンビヴァレントなのかしら。

サイボーグの技術が人間の身体の領域に侵入してきたら、「人間」という感覚すら希薄になるでしょう。
ここだけは、。
絶対に譲ってはいけない最終ラインであり、人類がその歴史に終わりを告げるか否かの分水嶺で御座います。


なんて、少し話が大きくなったのだけど、こんなところで御座いましょうか。
アンビヴァレントな自分の「立場を表明」をすると、どうしても話が飛散してまとまりがなくなってしまうのだけど。とりあえず。

まーどんなに慧眼でも、近代的な主体(の幻想)、に依拠している人とはやはり相容れないところがありますわね、
大学でもそうだし、。
僕なんかは…間で揺れている様なところがあって(アンビヴァry
そうするとやはり言いくるめられてしまうところがあって笑
ようやく最近強い論調で語り始めたからおぼつかないところが御座いますが是非弱点があれば指摘していただきたいところ!だわ!
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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kenken

Author:kenken
ベルクソン、フランス現象学辺りから時間/イメージ論にアプローチしております。
哲学をする、事は演劇をする事であり、演劇研究は哲学でしかあり得ないという考えの下に、両者の関係をより精緻に見ていきたいという所存で御座います。
いずれ演出、俳優業も再開したいなぁ、などと!


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