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そして「主体」を回復する事/「違和感」について

猫手

主体性。
ああああラカン-ジジェク(-バディウ)をやらなきゃならん、
フーコー再読しなけりゃあかん
いやなんか卒論で主体について書こうかなという気になってきて。て。

主体性。
『ブルーバード・オブ・スーパーフラット』では、演出家が「役者の主体性を回復する」云々としばしば言っておりました、役者を1年に1、2回、稀ーに演出家業も行いますワタクシはこの言説に大いに共感したので御座います。
いや例えば学生演劇でね、演出家が「役者の素材を生かし」、彼を‘そのまま’舞台に上げる、という事をするんですよ。いやーもう普段の君の喋り方で良いからー!とか言って。
いや、これは。役者の主体性を促す、という意味では失敗している。むしろ殺してしまう事になるでしょう。
舞台に立つ際に彼は何も考えなくて良いのだから、(ちょっと台詞を覚えるのに苦労するくらいで)
写真撮る時にちょっと君ここに立ってて、というのと何も変わらない。
勿論彼(のパーソナリティ)が面白ければ作品に貢献する事はあるでしょうが、これでは完全に演出家に従属する事になってしまう。主体性もへったくれも御座いません。

主体性。
フーコーはエピステーメーの問題やら権力の問題やら諸々扱っており、結局何の人なの散漫ねなどと彼を読んだことのない人から言われたりするのですが、彼の問題は或るところで一貫していているのです、
見せかけの主体、に違和感を感じて、常に社会のいたるところに散見される主体生産装置の内実を暴こう、としていたのです、これが彼の大きな仕事。
近代的な主体は常に社会に生産されていたのです、例えば「真理」によって、例えば権力によって。
んー簡単に言えば、勝手にヒエラルキーを創出しちゃって、そこにあてはめられれば主体っぽくなっちゃう、見えちゃう。のです。から、その見せかけの主体からの脱却。
上の演劇の話にあてはめれば、役者が演出家を頂点とするヒエラルキーに取り込まれてしまう、というお話です。

主体性。
教育、について考える時にも外せないキーワードで御座います。
高校公民科の教職取得を目指しておりますが、あ、教師になる気はあまりありませんが、演劇教育の分野が開拓された際にアプローチしやすくなるかなと思って取ろうとしているのですが、。
他の科目に関しては知りませんが、とりわけ公民科は生徒の主体性を促す事を目標としているのです。
の授業で、「主体的に学ばせる為にはどの様な授業をすれば良いか」
などという課題が出されました。
‘主体的’に‘学ばせる’って、もう既に矛盾してるじゃーんとも思いましたが、これがなかなか奥が深い。
自分は中学時代から思考をするのが好きだった、様な気がする、果たして僕をそう‘させた’のは何だったのか。
僕の一つの結論は、「違和感」を感じる、という事。
例えば幼児期、何にでも興味を持つのは、自分とは明らかに異質な他者が外界でうごめいていて、それについて知りたい、と思うから。
恐らくはこの構造によって知への欲求は生まれているのでしょう、上記した授業課題は「常に生徒に違和感を与える事云々」と書いて提出しました。違和感、とは例えば知識であったりもするでしょう。が。
違和感がなければ何も困らないでしょうから、何も考えずに生きていける。しかし実際そうはいかない。
いかに違和感と感じ(させ)る事が出来るか、が勝負になってきます、ね
くらいの事でしかない/解釈、理解する事/で、「自分の有している感覚にマッチするものを読んでも/観ても仕方ない」と書いたのはこの意味において、で御座います。

そして主体性。
を回復する事。では最初に演劇の話を出したんでその方面から書いてみましょうか、
役者、ないし役者陣の主体の回復。恐らくここには大きく二種類、あると思っております。
一つは、「違和感」と共に演技をする事。面白い例が御座います、友人で、そこそこ名の売れた劇団に所属している人間がいるのですが、そこの演出家が「全てのものがピンクに見えている体(てい)で演技をしなさい」と言ったそうです。勿論ピンクな知覚(?)は不可能なのですが、練習によってある程度その感覚は掴めてくるそう。
いつも見ている風景と違う色に映る事物、の中で芝居をするのは余程の緊張感なのではないかと思います。
スタニスラフスキーの注意の集中というのも似たような事なんじゃないかななどと考えております、がどうすかね
それが表出する際どの様に表れてくるのかは分かりませんが、台詞を読むだけ、と異なるのは間違いないでしょう。
二つ目は、生を解放する事。簡単に言えば大きな声を出す事、激しく動き回る事、の様な事、なのですが、そんなに簡単にいかないのが生の解放、で御座います。この言葉の当て方が適切かどうかも分からないしね
それは例えばトランス、なのであって、例えば「祈り」、なのであって、例えば「祭儀」なのであって…
最後二つは『ブルーバード・オブ・スーパーフラット』の演出家の用いるタームなのですが
いやなかなか説明が難しい、し結局最後まで体現する事ができなかったので、すが
出来ればここは言語化したい。
多少無理にでも近々記事に致します。


どんな形であれ新たな主体を確立する言説は必要になると思います。そして新たなアイデンティティ
上記した「違和感」の話は、近代的な主体確立の言説にかなり拠っております。完全に弁証法的だし。
こいつをいかに現代の思想と結節させていくか。感覚的には掴んでいるんだがなぁ、!
ああージジェクかぁバディウかぁああ。

自らの内に抱えている言説を表出できない!という違和感!故の学問!頑張ります!


ソファーに座っていたら愛猫(♀)が脚の間に潜り込んで手をまわしてきた
せくしぃいいいいいいいやあああああぁぁぁぁぁ
こんなん一発で落ちる やろ!
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:kenken
ベルクソン、フランス現象学辺りから時間/イメージ論にアプローチしております。
哲学をする、事は演劇をする事であり、演劇研究は哲学でしかあり得ないという考えの下に、両者の関係をより精緻に見ていきたいという所存で御座います。
いずれ演出、俳優業も再開したいなぁ、などと!


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